英語教育の危機
2023/5/19
最近、こちらの本を読みました。
新しい学習指導要領になって、3年目を迎えました。
この間、生徒たちを指導していて、一番困ったのが、
「英語」
です。
「やる前から危惧していたことが、現実になってしまっている…」
現場で指導していると、そう思います。
そうした悩みから、自然と「英語教育」についての本に手が伸びます。
こちらの本は、私が漠然と抱えている問題点を、ある程度代弁してくれているような内容になっています。
小学校で英語を「学んだ」ことになっているが…
指導していて一番困るのが
「中学1年生の対応」
です。
新しい学習指導要領では、
「小学校5,6年で、ある程度の英単語、文法を習得」
することになっています。
そのため、中学の英語は、今までのように基礎的なところからやるのではなく、
「ある程度、英語については知っている」
という教科書内容となっています。
ですが、現状は異なります。
小学校の英語の授業は
「英語に親しむ」
ことを目的として行っている学校が多いです。
そのため、文法はもちろんのこと、英単語も「知らない」「書けない」という状態です。
正直、新しい学習指導要領の「前」と「後」では、小学生の英語力には、「ほとんど差がない」という印象です。
強いて言えば
「多少、英語の発音がいい子が増えた」
ということはあります。
が、「知識」という部分では、「ほとんど変わりがない」という感じがします。
なので、中学入学前の段階においては、
「単に教科書だけ難しくなって、小学生の英語レベルは、ほとんど上がっていない」
という状況になっています。
「資本力」で差がつく
このような状況なので、中学1年生を指導する際には、まず
「英語がどのくらい理解できているのか」
を確認するところから始めます。
入塾前の面談時から
「小学校の英語以外で、何か英語を学ばせていますか?」
ということを質問します。
「英語教室やくもんなどで学んでいる」という子もいますが、
「小学校の英語以外、まったく何もやっていない」
というお子様もいます。
そういった子のほとんどが、中学での英語の授業についていけるだけの「基礎知識」が身についていません。
なので、
「中学に入学して、本格的に授業が始まるまでに、いかに基礎知識を『覚えさせる』か」
ということに、必死になって取り組む必要があります。
「塾に来て勉強させよう」とすることができる、資金的に余裕があるご家庭であれば、まだいい方です。
そこまで資金的に余裕がないご家庭の場合は、
「自分で何とかする」
しかありません。
「塾屋」の立場からすれば、今の状況は、宣伝もしやすいし、生徒も集めやすいので、歓迎すべき状況なのかもしれません。
ですが、一日本人としては、
「どうなのかな…?」
という気がします。
ある程度学力がある子でも…
さらに頭が痛いのが、
「勉強がある程度できる子でも、英語の基礎が身についていないため、英語で迷子になってしまう」
という点です。
小学校の国語や算数の成績を見る限り、
「この子は、ある程度の学力がある」
という子がいます。
こうした子は、以前であれば、中学で基礎から学んでいたので、きちんと英語の力を身につけられていました。
ただ、新しい学習指導要領になって、そういったお子様でも、英語に関して何もしていないと、なんだか中途半端な状態のままでいることがあります。
「be動詞」「一般動詞」の区別がつかず、いつまで経っても
「I am play tennis.」
のような、おかしな文を書いてしまう。
そういったことが増えている気がします。
きちんと検証をしてる?
学習指導要領が変わる度に思うのですが、日本の教育行政は
「現場の声を聞き、きちんと検証をして、問題点を明らかにした上で、改善をしているのか」
という点が、きちんと行われていないような気がします。
教育行政を司る人たちは、国家公務員の方々が中心だと思います。
早ければ中学から「頭のいい人」に囲まれて、高校、大学と過ごし、そしてそのまま中央官庁に就職する。
そうした方々だけの視点では、見過ごされてしまう「現実」が、実はあります。
私自身、この仕事をするようになって、最初にビックリしたのが
「中学生になっても、九九があやふやな子が、わんさかいる」
ということです。
私は高校から偏差値の高い学校に行きました。
そこから先、この仕事につくまでは、ある程度「学力の高い」人たちに囲まれて過ごしていたと思います。
ですが、そうした環境から一歩外に出て、現実を見れば、これだけ「勉強ができない」子がたくさんいる。
そうした「現実」を踏まえた上で、「指導方針」というものを立てていかなければならない。
そのように思います。
現実と乖離した目標をどれだけ掲げても「絵に描いた餅」です。
その方針に振り回されて、現場の先生方が疲弊する。
最悪、子どもたちの、受けられたはずの「教育の機会」が奪われてしまう。
新しい学習指導要領における、英語教育の素晴らしさを力説する人を見るたび、
「大山鳴動して鼠一匹」
この言葉が、頭をよぎります。
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