名補佐役
2023/2/13
豊臣政権の「No.2」
戦国武将の中でも「No.2」の存在に、最近興味があります。
上杉景勝における「直江兼続」
伊達政宗における「片倉小十郎」
徳川家康における「本多正信」
などなど。
その中でも、特に惹かれているのがこちらの人物。
「豊臣秀長」です。
名字からわかるように、豊臣秀吉の「No.2」として活躍した人物です。
「秀吉の弟」という立場で、「大和大納言」とまで呼ばれた人物ですが、兄の秀吉と比べると、その存在は極めて地味。
生徒に「豊臣秀長って知っている?」と聞いても、一部の戦国好き以外の生徒は、まず知りません。
秀吉の「No.2」というと、「黒田官兵衛」の名を挙げる人もいるかもしれません。
ですが、秀吉の下っ端時代から苦楽を共にした、という意味では、やはり豊臣秀長こそが、秀吉の「No.2」という立場にふさわしいのではないかと思います。
ひたすら裏方に徹する
秀長については、何となくは知っていました。
ですが、「この機会に、更に深く知ろう」と思って本を読んだのですが、実に興味深い生き様でした。
兄の秀吉が「明」としたら、弟の秀長は「暗」。
農民上がりの秀吉にとって、他の武将とは違い、頼りになる側近はいませんでした。
そんな中で、唯一とも言える側近だったのが、弟の秀長。
他の人には任せられないような、地味できつい仕事を、秀吉は秀長にやらせます。
秀長はその期待に応え、淡々と職務を遂行していく。
派手な秀吉に対して、秀長は地味。
ですが、穏やかで控えめな性格の秀長は、個性的な豊臣家臣団をまとめていく存在となっていく。
決して派手ではないですが、秀吉を支え続けた秀長の功績は、秀吉が天下を取る上で、欠かせないものであったと思います。
また、その存在自体も欠くことの出来ない人物であったようです。
事実、秀長は秀吉よりも先に亡くなるのですが、それ以降、豊臣政権は次第におかしくなっていきます。
千利休に切腹を命じたり、おいの秀次を死に追いやったり。
秀長が存命であれば、このようなことは起こらなかったかもしれません。
「No.2」の重要性を考えさせる人物であると思います。
前に出るのはいいけれど
最近は、こうした「裏方」に徹することができる人材がいなくなったように思います。
「俺が、俺が」と前に出て目立つことを考える人ばかり。
もちろん、それで成功する人もいますが、それはほんの一握り。
ある意味「選ばれた人間」だけだと思います。
ですが、そうした才能もないのに「目立ってなんぼ」という勢いではしゃぐ様を見ていると、
「もう少し、自分の『特性』というものを知った方がいいんじゃないかな」
と思います。
決して目立たず、上の人物を立てる。かといって、決して無能ではなく、部下をまとめていける。
このような、地味だけど「すごみ」を感じさせる人物の生き方を、今の我々はもう少し学ぶ必要があるのではないか。
そのようなことを思いました。
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