「優しさ」だけでは、人は成長しない
2026/10/7
「成長」について、考える
最近、
「人は、どのような時に成長するのだろうか」
ということを、ぼんやり考えることがあります。
そうすると、結局のところ、
「ある程度の厳しさを乗り越えないと、人は本当の意味で成長しないのではないか」
というような気がしています。
よく「褒めて伸ばす」と言われます。
これは間違っていないと思います。
人間、けなされるより褒められた方が気分はいいですし、やる気も出ます。
ただ、大したことをしていないのに、いつも褒められてばかりいると、
「自分には実力がある」
「このくらいできれば十分だ」
と勘違いをしてしまう恐れがあります。
それは、本当の意味での成長とは言えません。
私の中で「褒める」というのは、あくまで「成長のとっかかり」という感覚があります。
そこからさらに上を目指すのであれば、どこかで「厳しさ」が必要になる。
そう思っています。
「無視、称賛、非難」
プロ野球の野村克也監督の言葉に、
「無視、称賛、非難」
というものがあります。
選手の成長段階によって、接し方を変えるという考え方です。
最初の「無視」の段階では、まず自分で考えることを求める。
プロの選手である以上、何でも人から言われて動いているようでは大成しない。
自分で考え、自分で行動する。
まずはそこからです。
次の「称賛」の段階では、結果が出始めた選手を褒め、やる気を引き出す。
ただし、ここで褒められることに慣れすぎてしまうと、
「自分はもう十分にできている」
と勘違いしてしまう。
そこで成長が止まってしまう選手も多く、そうした選手は「二流どまり」といえます。
そして最後の「非難」。
一流の選手ともなれば、すでに自分で努力する力を持っています。
そうした選手に対しては、さらに高いものを求め、あえて厳しく接する。
そうすることで、その選手の可能性をさらに引き出す。
私には、この考え方がとてもしっくりきます。
厳しさは、期待の裏返し
この考え方に影響を受けているのかもしれません。
自分自身の生徒への接し方を振り返ってみると、自然とそうした傾向になっているような気がします。
よく褒めている生徒に対しては、そこまで高い要求をしていないことがあります。
「厳しく言うと、へそを曲げてやらなくなりそうだな」
「とりあえず褒めておけば、気分よく続けるだろう」
正直、そんな感覚で接していることもあります。
一方で、厳しいことを言う生徒に対しては、
「あなたなら、このくらいはできるだろう」
という期待があります。
他の生徒であれば、へそを曲げてしまうような要求でも、その生徒なら乗り越えてくれると信じているからです。
つまり、
厳しさというのは、期待の裏返し
でもあるのだと思います。
「ラクに」「効率よく」だけでいいのか
最近は、
「ラクに」
「効率よく」
という風潮が強いような気がしています。
もちろん、無駄な努力をする必要はありません。
効率よく学ぶことも大切です。
何でもかんでも厳しくすればいい、とも思いません。
ただ、
「安易な道ばかりを子どもたちに示すこと」
には、少し危うさを感じます。
特に、塾に生徒を通わせる保護者の中には
「ラクな方法で、子どもを成長させたい」
「塾で教われば、ラクに子どもは成長する」
と考えているような方も、いるような気がしています。
ただ、勉強というものはそんなに簡単なものではない。
教えたからといってすぐにできるようにはならない。
まずは自分でやってみる。
できなかったことに気づく。
間違えたところを繰り返す。
うまくいかなくても続ける。
そうした少し苦しい経験を乗り越えた先に、
「できるようになった」
という小さな自信が生まれます。
その積み重ねでしか、人は成長しないのではないか。
子どもたちと接していると、そのように感じています。
勉強を通じて、感じてほしい
私は、生徒たちには勉強を通して、
「厳しさの先に、成長がある」
ということを感じて、知ってほしいと願っています。
優しく励ますことも大切です。
褒めることも必要です。
ただ、それだけで人は成長しない。
「あなたなら乗り越えられる」と信じて、あえて突き放し、高いものを求める。
教育には、そんな厳しさも必要なのではないかと思っています。
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