「面倒見がいい」は本当に「いい」のか?
2022/11/28
「面倒見のよさ」を売りにしている、塾の宣伝をよく見かけます。
一見すると「面倒見がいい=いい塾」と思われるかもしれません。
ですが、個人的には
「面倒見がよすぎるのもどうかな…」
と思っています。
生徒が講師に依存する
「面倒見がいい」の一番の問題点は
「生徒が講師に依存してしまう」
というところです。
講師が生徒に丁寧に指導する。
するとどうなるか。
生徒は「自分の頭」で考えないようになります。
わからなければ、隣にいる講師に質問すれば、丁寧に教えてくれる
↓
丁寧な説明を聞いていれば「わかった」気持ちになる
↓
自分でも「力がついた」様に思える
この、
「自分でも力がついた様に思える」
というのが曲者です。
自分でそう「思える」だけで、実際に一人で問題を解かせてみると、「まったく解けない」ということが、ままあります。
解けないので、生徒は講師に質問します。
すると、講師はまた最初から丁寧に教えます。
生徒は「わかった気に」なります。
それでもう一度問題に挑戦しますが、「自分の頭で考えて」いないので、結局解けない。
そうした状態に陥る可能性があります。
一から十まで丁寧に教え過ぎると
「生徒の問題解決能力を奪ってしまう」
と私は考えています。
講師が指導に没頭する
一方、「面倒見がいい」というのは、講師が「教えすぎる」という危険をはらんでいます。
講師になる人は、基本的に「教えたがり」です。
自分が持っている知識、身につけている技術を誰かに伝えたい。
そういう気持ちの人が多いです。
なので、全体的に「教えすぎてしまう」傾向にあります。
自分が持っているものすべてを生徒に伝えたい。
その意欲はいいのですが、一方で、
「ある程度は、生徒自身で考えさせる」
という意識を持っていなくてはなりません。
そうしないと生徒が一人で問題を解くことができなくなってしまいます。
当たり前ですが、テストは「生徒自身」しか受けることができません。
日頃からそういった状況を意識的に作っていける講師が「いい講師」だと、私は考えています。
ある程度「自立」させることが重要
生徒が塾に通う一番の理由は
「成績アップ」
だと考えています。
そのためには、
「自分の力で問題を解けるようになる」
必要があります。
また、高校、大学と先を考えると
「自分の力で勉強を進められるようにしていく」
力も身につけられるといいと思います。
そのためには、ある程度「生徒を突き放す」ことも必要だと思います。
生徒が
「きちんと考えていない」
「問題を解くのがめんどくさい」
という感じで質問してきた場合、私はあえて答えません。
「いま質問した内容は、自分で少し調べればわかるよね」
「その問題、前は解けたのだから、もう少し考えれば解けると思うよ」
そう言って、安易に答えないようにしています。
野村克也監督の言葉に
「いいコーチとは『教えすぎないコーチ』である」
というものがあります。
まずは選手に「考えさせる」。
選手が一通り考え、悩んだ末に質問があった時に、初めて教える。
このように「一度選手に考えさせた」上で教えることで、コーチのアドバイスが初めて選手に本当に「伝わる」。
そういうことなのだと思います。
時には「遠回り」も必要
生徒を指導していると、
「極端に失敗することを恐れている」
子が多いように感じます。
今の時代、我々の時代の頃と比べるとかなり環境が整っています。
望めば、ある程度のことは教えてもらえます。
ですが、それが行き過ぎて
「何でもかんでも最短距離」
で物事を進めようとする傾向が強いように感じています。
あまり「決められた道」ばかり通るのも考えものです。
小中学生くらいの頃であれば、「遠回り」するくらいの余裕はあっていいのではないか。
はたからみたら「無駄なこと」をしているように見える。
けれども本人なりに「考えて」行動しているのであれば、失敗することはあっても、長い目で見ればそちらの方がいい。
そう思っています。
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