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失敗を「失敗」としないために

2023/4/7

本屋にこちらの2冊が並んでいました。

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こんなものを見せられたら、買うしかありません。

「本屋は陳列の仕方によって、売上が変わる」

と言われていますが、見事に本屋の術中にはまってしまいました。「平安堂」、恐るべし。

で、右側の「関東戦国史のすべて」の方を読んでいるのですが、戦国武将の生き様を見ていると、

「失敗から学ぶ」

ことの重要性を改めて感じます。

敗戦を糧に、天下をつかんだ徳川家康

「失敗から学んだ戦国武将」としてまず挙がるのが、徳川家康です。

家康は、一度生死に関わる大敗北を喫したことがあります。

それが「三方ヶ原の戦い」です。

武田信玄の上洛を阻止するため、「戦国最強」と言われた武田軍に果敢に挑んだわけですが、結果は大敗。

あまりの恐怖に、逃げる馬上で「う○こを漏らしてしまった」という逸話が残るほどの敗北を喫しました。

ただ、家康が非凡だったのはここからです。

この敗戦から、武田軍の強さを分析。自分の軍団に積極的に取り込みました。

武田家が滅亡した後は、旧武田家臣を採用しました。

自分を倒した「武田信玄」の軍略を学ぶことによって、自らの力を高めていきました。

その結果、天下分け目の「関ヶ原の戦い」を制し、戦国時代の覇者にまで上り詰めました。

若き頃の失敗から、「戦国最強」にまで上り詰めた武田信玄

徳川家康を破った武田信玄もまた、敗戦から多くのことを学んだ戦国武将だと言えます。

信濃統一を目指す、若き武田信玄の前に立ちはだかったのが、長野県が誇る名将「村上義清」です。

信玄は、家臣が諫めるのも聞かずに村上義清に戦を挑み、敗北します。

その結果、板垣信方、甘利虎泰といった有力家臣を失うことになります。

これが有名な「上田原の戦い」です。

その後、リベンジを果たすために、村上義清の居城「砥石城」を攻めたのですが、これも返り討ちにあります。

これが有名な「砥石崩れ」です。

二度の敗戦を経て、信玄は多くのことを学びます。

村上義清の部隊編成からも積極的に学び、自身の軍団に取り入れます。

若い頃の二度の敗戦が、「戦国最強」とまで謳われた武田軍を作り上げていったのだと思います。

なお、武田信玄を二度も破った「村上義清」の評価が、もう少し上がってほしいな、というのが、一長野県民の個人的な意見です。

勝頼は優秀な武将だったが…

一方、「敗戦」を活かすことができず、滅亡にまで追い込まれた戦国武将もいます。

武田信玄の息子の「武田勝頼」です。

武田勝頼は、以前は「凡庸な武将」という評価でしたが、最近はその評価が変わってきています。

武田家の領土が最大になったのは、勝頼の時代です。

信玄が落とせなかった「高天神城」を落としたのも勝頼です。

あの織田信長も「勝頼には油断できない」という評価をしていたそうなので、決して凡庸な武将ではなかったのだと思います。

ですが、勝頼は

「若いうちに成功しすぎてしまった」

ように思います。

その結果、「おごり」が生じてしまった。

その「おごり」が結果となって現れたのが、有名な「長篠・設楽原の戦い」です。

周りの家臣の忠告も聞かずに「織田・徳川連合軍」に戦いを挑んだ勝頼は大敗。

その後、体制を立て直すことが出来ず、武田家は滅びることになります。

最初から順調に物事がうまくいってしまうと、一度の失敗が致命傷になってしまう。

そのことを、武田勝頼は教えてくれる気がします。

失敗を「失敗」で終わらせないために

現在、入学式シーズンです。

希望の高校に進学できた生徒たちは、「この世の春」を満喫していることと思います。

その一方で、「夢破れた」生徒たちもいると思います。

ですが、大事なのは「これから」です。

一度の失敗でふてくされて、「もういいや」となるのか。

失敗を糧に「大学入試では…」と3年後のリベンジを目指すのか。

失敗を「失敗」のままで終わらせるのか、「いい経験」として活かすのか。

すべては「自分次第」です。

名を挙げ、功を成した戦国武将も、ほとんどの人が「失敗」をしています。

ぜひ失敗から学び、3年後、

「あの失敗があったから、自分は成長することができた」

と、思えるような高校生活を送っていただきたい。

そう思います。

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