「先生のおかげ」が苦手
2026/4/3
「先生のおかげ」
今年の高校入試が終わった。
合格発表が終わり、報告を受ける時、合格した生徒や保護者の方から
「先生のおかげです」
という言葉をいただくことがある。
もちろん、その言葉自体はとてもありがたいものだ。
指導者として、これ以上ない評価だとも言える。
「共に頑張ってきてよかったな~」
と、感慨にふけることもある。
だが正直に言うと、私はこの言葉が少し苦手だ。
なぜか。
それは「何か違う」と感じてしまうからだ。
「本人の努力の賜物」
合格したのは、あくまでも「本人の努力の賜物」だ。
日々の勉強に向き合い、
思うようにいかない時にも諦めず、
本番で実力を発揮し、
合格を勝ち取ってきたのは「生徒自身」である。
私がやったことと言えば、そのきっかけを与えたり、方向を示したりした程度にすぎない。
にもかかわらず、
「先生のおかげ」
という言葉をかけていただくことで、「主役」が入れ替わってしまうような感覚になる。
あくまでも主役は「生徒」であり、我々は「黒子」に徹するべきである。
あまりにも「先生のおかげ」と言われてしまうと、調子に乗り、その領分を逸脱してしまうような気がしてしまうのだ。
「依存」が怖い
もう1つ言えば、この言葉には少し「怖さ」も感じる。
「先生のおかげで結果が出た」
という意識が強くなりすぎると
「誰かに引っ張ってもらわなければ、前に進めない」
という依存につながる可能性がある。
教育の本質は、「依存させること」ではない。
「自分で考え、自分で行動できるようにする」
ことだと思っている。
この点については、教育者として知られる工藤勇一先生の言葉に強く共感している。
工藤先生もまた、「先生のおかげ」と言われることに違和感を持っていると語っていた。
その代わりに
「先生がきっかけになって頑張れた」
と言われるのがうれしいのだという。
まさにその通りだと思う。
我々講師ができることは
「きっかけを与えること」
だけである。
それを元に
「行動する」
ことを決めるのは本人である。
その関係性こそが健全だと思う。
高校は「自分で決める」ことが求められる
特に高校に進学すれば、この姿勢はますます重要になる。
中学生までは、ある程度大人から手取り足取り教えてもらえることができる。
ところが、高校に進学すると一転、そうした環境ではなくなる。
自分で考え、判断し、行動する場面が一気に増える。
ここで「自分で考える」ことができないと、一気に置いていかれる。
そして、「自分で考える」場面は、大人になればなるほど増えていく。
だからこそ、
「誰かに依存して」
できるようになるのではなく、
「自分で考え、行動した」
からできた、と言えるようになってほしい。
もちろん、人は一人では成長できない。
周囲の支えや環境があるからこそ、前に進めるのも事実だ。
だが最終的に、自分を成長させるのは「自分自身」である。
そのことは、忘れないでほしい。
私は「主役」でなくていい。
「きっかけ」を与える存在。
生徒たちの「踏み台」となれれば、それでいい。
その先、生徒一人一人が自分の力で考え、前に進んでいく。
その一助となれれば、これほど嬉しいことはない。
※猿田塾へのお問い合わせはこちらから