「やればできる」という言葉の難しさ
2026/3/2
「運動音痴」
運動には「運動音痴」という言葉があります。
足の遅い子、ボール投げが苦手な子、リズムがつかめない子。
運動が苦手な子の場合、周囲もどこかで
「あの子は運動神経が悪いから、できなくても仕方ないよね」
と受け入れられることができます。
ところが勉強になると、状況はかわります。
「やればできる」
という言葉が、半ば当然の前提のように使われます。
「できないのは努力不足、やる気不足だからだ」
と。
私自身も、特に学生時代、勉強が出来ない友達を見て
「勉強ができないのは、努力していないからで、できないのは当たり前だ」
そう思っていました。
しかし、多くの子どもたちを指導する立場になり感じるのは、勉強にも、
「勉強音痴」
のように、元々勉強を苦手とする子がいる、という現状です。
理解のスピード、抽象的な思考への耐性、記憶の定着の度合い。
個人差は確実に存在します。
にもかかわらず、「やればできる」と一括りにしてしまうと、勉強が苦手な子は追い込まれていきます。
親が優秀な場合
とりわけ「ご両親が優秀」な場合、そのギャップは深刻です。
親は「よかれ」と思って助言し、期待し、環境を整えます。
「自分たちができたのだから、子どももきっとできるはず」
そう信じて、子どもを励まします。
子どもも、親の期待に応えたい一心で努力します。
けれども結果が出ない。
結果が出ないと親は焦り、ますます子どもをなんとかしようとする。
そうしたことが繰り返されていくうちに、子どもには「自己否定」の感情が積み重なっていく。
子どもたちが気づかないうちに、心がすり減っている
そういったことが起こります。
出来たほうが良い。が…
誤解のないように言えば、勉強はできないよりは「できた方がよい」と思います。
ただ、一方で「向き・不向き」があるのも、また事実です。
勉強が向いていない子に対して
「やればできる」
という、いわば「正論」をかざし過ぎるのは、ともすると子どもを追い込んでしまうこともあるような気がしています。
花まる学習会の高濱正伸先生は、
「将来、メシの食える子を育てる」
とおっしゃっています。
学歴や点数だけでなく、「社会で自立して、生きていく力を育てる」という視点です。
この考え方が、自分の中でもしっくりくる表現です。
「やればできる」という言葉は、励ましにもなりますが、ときに残酷です。
だからこそ、大人、特に一番側にいるご両親には「お子様の特性」を冷静に見つめてほしいと思います。
その子の強みはどこにあるのか。
どんな環境なら力を発揮できるのか。
勉強一本で評価しない。
もし勉強が苦手な場合、別の環境で輝く可能性を探す。
子どもが、自分自身を否定せずに、自信を持って生きていく力を身につけることができた。
その時に、初めて「やればできる」という言葉の力が発揮されるのではないでしょうか。
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