我が塾の逆転ストーリー②
2022/11/10
これまで色々な生徒の進路指導をしてきました。
その中には
「これは厳しいな…」
と思う状態から、合格を果たした生徒がいます。
特に印象に残っている3名の生徒がいます。そのお話しをしていきたいと思います。
(前回のお話)
今日は、私がこれまでの塾人生活の中で、一番印象に残っている、Bさんのお話しをしようと思います。
県ヶ丘に合格したBさん
Bさんは中2の秋頃に塾に来ました。
英語が得意な生徒でしたが、「数学」と「理科」を苦手にしていました。
志望校は、塾に来た時から「県ヶ丘」と明確でした。
・理数科目の得点アップ
・県ヶ丘へ合格
これが塾に課せられた使命でした。
なかなか上がらない成績
「数学」「理科」の強化、ということで塾に通い始めたBさんでしたが、成績はなかなか上向きませんでした。
いい点数を取ったかと思えば、次のテストでは下がる。
テストが簡単な時は「ガンッ」と上がるが、難しくなると「ドンッ」と下がる。
このように、「上がったり下がったり」を繰り返しながら、不安定な状態のまま中3の総合テストに突入しました。
総合テストになっても、成績は一進一退のまま。なかなか理科と数学の点数は安定しません。
それでも、得意の「英語」を中心に、「国語」「社会」で安定した点数を取っていたので、合計で見れば、十分県ヶ丘を狙える位置にいました。
なが模試の結果も悪くなく、
「このままだったら何とかなるかな」
そう思っていました。
理科でまさかの…
流れがおかしくなったのは、年が明けてからです。
まず、1月の5回目の総合テストの結果があまりよくありませんでした。
それでも、同じ時期に受けた、なが模試の結果は悪くなかったので、
「まあそんなに問題ないだろう」
そう思っていました。
ところが、2月の、最後の総合テスト。
中3のテストの中で、最も悪い結果が出てしまいました。
特に悪かったのが「理科」です。
「23点」でした。
平均点が「30.7点」だったので、「激ムズ」のテストではありました。
それにしても、平均点割れです。
ここで、完全に「赤信号」が灯りました。
学校の先生や親御さんは、この結果を見て心配し、「下げた方がいい」とアドバイス。
しかし、本人は
「どうしても県ヶ丘を受ける」
といって、考えを変えない。
で、私。
心の中では、
「下げた方が無難かな」
という思いがありました。
ただ、一方で、
「内申もまずまず。英国社で安定して点数も取れてる。なが模試の結果も悪くなかったから、まあなんとかなるんじゃないか」
という気持ちもありました。
「いずれにしても、周りの大人全員が『下げろ』だと、本人が潰れちゃう。」
「自分は何も言わずに、本人の意志に任せよう」
そう思っていました。
最終確認
そんなある日、泣きながら塾に来た時がありました。
話を聞くと
「『蟻ヶ崎に下げた方がいい』と親に言われて、ケンカしてきた…。」
とのこと。
来るなりずっと泣いていたので、とても授業どころではありません。
「とりあえず、泣けるだけ泣いてもらった方がいいか」
そう思って、そのままにしていました。
しばらくたって、落ち着いてきたので、
「どうする?下げるか?」
と聞きました。
すると
「絶対に下げません。落ちたら(併願で受かっていた)私立に行きます。」
ときっぱりと言いました。
そこまで言うなら、何も言うことはありません。私も腹を決めました。
「よっしゃ。そこまで言うなら、このまま県ヶ丘を受けよう!」
「だけど、理科がこのままじゃアカンね。どうすればいいかな?」
そう言いながら、「ミラクルロード」を渡し、
「入試本番まで、理科は『これだけ』やりなさい。」
と言いました。
それまでも「ミラクルロード」を解かせていたのですが、やったり、やらなかったりと、中途半端な感じでした。
ですが、これを境に入試まで約3週間、必死になって理科の「ミラクルロード」を解いていました。
そんな感じで入試を迎えました。
合格を確信した瞬間
入試が終わった翌日、新聞に掲載された入試問題の理科を解いてみました。
「う~ん、簡単ではないし、何とも言えないな…」
そう思いました。
いずれにしても、入試は終わりました。後は結果を待つのみです。
そして、運命の合格発表当日。
続々と「合格しました!」という報告の電話が届きます。
しかし、Bさんからの電話は来ず。
「まだか~、まだか~」
と、狭い塾の教室の中をぐるぐると歩き回っていました。
すると、電話が鳴りました。
すばやく電話に出ると、Bさんからの電話でした。
「もしもし、〇〇ですけど!」
この嬉しそうな声を聞いた瞬間、
「あ、受かった」
と思いました。
「県ヶ丘に合格しました!」
「そうか、よかったね。おめでとう!正直、君が一番心配だった!」
こうしてBさんは、県ヶ丘に無事合格していきました。
合格の要因
Bさんの場合、前回のAくんとは違って、1年を通して成績はまずまず安定していました。
直前期に点数を下げましたが、入試本番では、「英国社」で点数を稼ぎ、苦手の「数理」は何とか持ちこたえました。
なお余談ですが、入試本番、Bさんの理科の点数は「64点」でした。
この点数、その年受験した塾の生徒の中で、一番いい結果でした。
「ミラクルロード、すげーっ」
と、本当に思いました(自分でやらせておきながら)。
と同時に、
「信じるものは救われる」
とも思いました。
あと、客観的に分析すると
・英語で点数を稼げた
・国語と社会が安定していた
という点が、彼女の合格の基盤となったのだと思います。
あとは「勝負強さ」でしょうか。
彼女は終始一貫して
「県ヶ丘一本」
という姿勢を変えませんでした。
そうした強い意志からくる「気迫」みたいなものを感じることができました。
なので、
「本番でもやってくれるでしょう」
という、妙な信頼感があったのを覚えています。
このあたりの感覚は、なかなか言葉では伝えられないところです。
その後
Bさんは、進学した県ヶ丘でも勉強を頑張ったようです。
そして、立教大学に現役で合格しました。
高校進学後は疎遠になっていましたが、大学合格が決まった後、わざわざ塾まで挨拶に来てくれました。
「高校合格は『ゴール』じゃない、『スタート』だよ」
というアドバイスを、高校進学後も覚えていて、大学進学にまでつなげてくれたことが、本当に嬉しかったです。
「少しは彼女の人生において、いい影響を与えることができたのかな」
と思わせてくれる生徒でした。
その意味でも、最も印象に残る生徒だと思います。
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