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巧者の大将と申すは…

2022/12/20

戦国武将の朝倉宗滴の言葉に、このようなものがあります。

『巧者の大将と申すは、一度大事の後れに合ひたるを申すべく候』

戦上手の大将というのは、一度大きな敗戦を経験している武将のことである。

「一度大きな失敗をしている人物こそが、大きなことを成し遂げることができる」という意味なのだろうと思います。

戦国武将で言えば「徳川家康」「武田信玄」がこちらに該当すると思います。

天下人となった家康も

家康の「大失敗」といえば、「三方ヶ原の戦い」が挙げられます。

戦国最強と言われた武田信玄率いる武田騎馬隊に果敢に勝負を挑むも、大敗北。

命からがら城に逃げ帰った時には、「馬上で糞をもらしてしまった」という逸話もあるくらいの惨敗でした。

その時の苦い失敗を忘れないために、自らの惨めな姿を絵師に描かせたという「しかみ像」の話も有名です。

この時の敗戦を糧に、家康は徹底して武田家の兵法を学びます。

また、武田家が滅亡した後は、その配下を積極的に自分の配下へと取り込みます。

このようにして、若い頃の「大敗北」から多くのことを学んだ家康は、後に天下分け目の「関ヶ原の戦い」でも勝利。

260年に及ぶ江戸時代の礎を築いたのでした。

武田信玄もまた敗戦から

徳川家康に「三方ヶ原の戦い」で大勝利を収め、「戦国最強」とも謳われた武田信玄もまた、若い頃に大きな敗戦を経験をしています。

若き武田信玄に苦汁をなめさせたのは、長野県の武将「村上義清」です。それも一度ではなく、二度、信玄を撃退しています。

一度目は「上田原の戦い」。

この戦いで信玄は、「板垣信方」「甘利虎泰」といった、親の時代から仕えてきた重臣を失っています。

二度目は、村上義清の居城「砥石城」を攻めていた信玄を撃退した戦い。武田軍の総崩れの様から「砥石崩れ」と呼ばれるほどの敗戦でした。

信玄もまた、こうした苦い経験を糧として、戦国最強と言われるまでの武士団を作り上げていくのでした。

失敗から学ぶ

今の時代、あらゆる分野において環境が整っているように感じます。

それは「学問」の分野においてもいえます。

わかりやすいテキスト、丁寧な説明。

ちょっと探せば、わかりやすい無料動画が簡単に見つけられる。

非常に恵まれた時代だと思います。

一方で、生徒たちを指導していると、極端に「失敗を恐れる」子が多いように感じます。

「間違えてもいいんだ」
「失敗してもいいんだ」

と言っても、なかなか足が前に出ない。

そうした生徒が多いような気がします。

それは

「子どもたちに、余計な失敗をさせたくない」

と思うがあまりに、色々なことを先回りしてお膳立てしてしまっている、我々大人の責任なのではないか。

そのようなことを感じています。

生きていれば、人は必ず失敗します。

大事なことは、その失敗から何を学び、次にどう活かすか。

失敗を受け入れるだけの「度量」のようなものを育てていく必要があるのではないか。

朝倉宗滴の言葉を聞いて、そのようなことを思いました。

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