木曽義仲を訪ねて
2023/1/23
受験が終わるまでは、趣味の「全国城巡り」は封印です。
その代わりといってはなんですが、
「せっかくだから、地元長野県の『偉人』を巡ってみよう」
ということで、「朝日将軍」木曽義仲を訪ねてきました。
義仲館
ネットで調べてみると「義仲館」というものがある、とのこと。
「ここに行って、あとはゆかりの場所を教えてもらう」
ということで、まずは「義仲館」に向かいました。
思ったよりも新しく、立派な建物だったので、びっくりしました。
聞けば「2年前にリニューアルオープンした」とのこと。納得です。
館内には、様々な絵画、動画が流されていました。
残念ながら、義仲公由来の「遺品」のようなものは、今はほとんど残されていないそうです。
「義仲公ゆかりのもの」
が展示されていると思っていったので、その点はちょっと残念でした。
ですが、地元の方を中心に、「義仲公に対する愛着」みたいなものを感じられたのはよかったです。
徳音寺
義仲館の係の方が、
「もしよろしければ…」
ということで、義仲公ゆかりの場所を、案内地図とともに教えてくれました。
まず向かったのは「徳音寺」です。
義仲館のすぐ近くにあります。
お寺の奥には、義仲公の墓がひっそりとありました(写真中央の奥)。
その脇には、巴御前と義仲四天王のお墓。死してなお、主君を守ろうとするその配置に、なんとも言えない感慨を覚えました。
巴淵
次に向かったのは、「巴淵」です。
「巴御前がここで遊んでいた」
という伝説が残る場所です。
「ウォーキングコース」となっていましたし、1.5kmくらいだったので、
「じゃあ、歩いていってみるか」
と思って歩いて向かったのですが、この日は日中の気温が2℃。
最初のうちはよかったのですが、途中から、「車で移動すればよかった…」と後悔することしきり。
それでも何とか辿り着くと、藍色のような川底が印象的な、きれいな川でした。
旗挙八幡宮
巴淵まで歩いて、だいぶ疲れてしまったので、最後に歩いて行けそうな「旗挙八幡宮」を見てきました。
もともとは義仲公の館があった場所だそうです。
いまは、大きな欅の脇に、ひっそりと社が祀られていました。
義仲といえば…
「木曽義仲」といえば
・田舎侍
・京都で乱暴狼藉
・義経にあっさりやられた
というような感じで、圧倒的に「悪役」のイメージが大きい人物だと思います。
私の認識もそうでした。
ですが、大河ドラマなどを見ていて、
「義仲には義仲なりの『正義』というものがあったのではないか」
という気が、最近しています。
今回、色々と巡ってみましたが、地元の方々は好意的に義仲公を扱っていました。
地元の人々からこれだけ慕われていて、全国各地に様々な伝承が残っているので、
「ひとかどの人物」
であったことは間違いないと思います。
最近は大河ドラマの主役が「明智光秀」になるなど、歴史の「敵役」とされていた人物にも光が当たるようになっています。
木曽義仲にも、そうした「光」が当たるといいな。
そんなことを思いました。
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