「英語教育論争史」
2023/10/18
新学習指導要領3年目
小学校で本格的に英語を勉強するようになって3年目になりました。
我々の頃は、英語は中学からでした。
なので、
「今の子どもたちは大変だな…」
と感じていました。
ですが、歴史をたどってみると、
「過去にも、小学校で英語を指導していた時期があった」
ようです。
こちらの本には、日本における「英語教育の歴史」がまとめられています。
日本で英語教育が本格的に始まったのが明治維新以降です。
それから150年以上経った現在。
「いつから英語を学ぶのがいいのか」
「どのような教育方法がいいのか」
という論争は、実は150年前からすでに行われていた、いう事実を、この本を読んで知ることができました。
その他にも、
「今の我々の悩みというのは、実は先人達も同じように抱えていたんだな」
ということを知りました。
そこで、この本の中で、そうした「現代と同じような悩み」だと思った部分をいくつか挙げてみたいと思います。
中高とあれだけ英語を勉強したのに…
まず、公教育の英語教育が批判を受ける時に、真っ先に上がるのがこの意見です。
「中高と、あれだけ英語の勉強に時間を費やしてきているのに、英語が話せるようにならない」
学校であれだけ勉強したのに、英語が話せるようにならないのは
「英語教育の方法」
に問題がある。
その結果、今の学習指導要領では、
「小学校から英語を本格的に学ぶ」
ようになっています。
「小さいうちに英語に慣れておけば、英語に対する抵抗も小さくなり、習得しやすくなる」
という狙いがあるのだと思います。
ですが、過去にも同じように「小学校」で英語を学んでいた時期がありました。
ですが、
「小学生のうちに始めたところで、英語が話せるようにはならない」
「小学生から英語を学んでも、大人になってから使う機会はほとんどない」
「定着もせず、使う機会も少ない英語に時間を割くくらいなら、他の教科指導に時間を割く方がいい」
との意見が強まり、結果的に、小学校での英語教育は消滅したようです。
アメリカの研究機関によれば、「日本語」と「英語」というのは、言語的に「もっとも離れた」位置に属する関係にあるそうです。
その研究機関では、
「アメリカの外交官が、日本語を使いこなせるようになるまでにかかる時間は、2200時間」
という研究結果を出しています。
外交官になれるほどの優秀な人材が、日本語を習得するのに、それだけの時間を要する。
一方、日本の公教育での英語教育にかける時間は小中学校で「840時間ほど」と言われています。
仮に高校で必死に勉強したとしても、おそらく小中高の教育では、「1300~1400時間」くらいが精一杯ではないかと思います。
こうしてみると、
「中高であれだけ英語を勉強したのに、話せるようにはならない」
というのは、「指導方法が悪い」のが原因ではなく、単に
「英語教育に費やす時間が短すぎる」
というのが理由になるのではないか。
そんな気がしています。
読めても「話せない」
また、現在の学校での英語教育は「読み」「書き」が中心です。
そのため、「話すことができない」のではないか。
そうした点から、現在では、「聞く」「話す」といった部分に力を入れた指導がなされるようになっています。
ですが、こちらについても、過去に同じような疑問が呈されていたようです。
「文法中心の教育ではなく、会話中心の指導をする」
そうした指導方法が、一時期流行ったようです。
ですが、結局「会話中心」の指導方法も、学校教育の主流として定着することはありませんでした。
今のところ「会話中心」の指導によって、英語力が高まったという研究結果は出ていないようです。
むしろ、「英語学力が低下している」という研究結果は出ているようです。
ある研究によると、高校入学時点での英語力は、ほぼ年々低下し、偏差値に換算すると、「7程度」の下落幅がある。
そうした研究結果はあるようです。
実際に生徒を指導していてもそれはなんとなく感じます。
単語の発音は非常にいいのですが、単語の意味や文法といった、「英語の中身」を突っ込んで聞いてみると、実はよくわかっていない。
そうした生徒が増えているような気がしています。
また、「英語で授業を行えば、英語力が上がる」という明確な根拠はないようです。
近年の研究結果では、むしろ「母語」を使って外国語を指導した方が、効果的だという意見が、言語教育界では主流になりつつあるのだそうです。
そうすると
「英語の授業は英語で行う」
という今の学習指導要領の方針は、ピントがズレてしまっているような気がします。
一番の問題点
他にも「う~ん…」と思う部分はたくさんあったのですが、一番
「ここが問題だよな…」
と思ったのは、以下の文です。
「日本の英語教育論争の歴史を見ると、直接対峙した論争は少なく、しかも議論を尽くして相手にトドメを刺すところまで進まない。」
「どのような英語教育がいいのか」
という部分について、とことんまで議論を尽くさない。
時代時代の「空気」によって、なんとなく「この方法がいいのではないか」という、場当たり的な方針によって、指導の方向性が決まる。
その結果、その時代の子どもたちや先生方が振り回されている。
こと英語教育に関しては、このようなことを繰り返してきている。
今回こちらの本を読んで、この部分が一番の問題点なのではないか。
そう思いました。
※猿田塾へのお問い合わせは、こちらから