未来の教室その3
2019/3/27
昨日の続きです。
最後に講演をされたのは、
全国の学習塾のコンサルティングを
専門にしている方です。
私立学校などでも講演をされている方で、
いわば様々な「教育現場」を
見ている方です。
その先生が、講演の最初、
経産省の方が帰ったのを確認して一言。
「皆さん、さっきの話、全部鵜呑みにしたら
ダメですよ」
ええっ!?一体どういう事?
と思っていたら、更に続きます。
「探求というのは、ある程度の大人に
なってからじゃないとできない。」
「子供でも『答えのない問い』に耐えられるのは、
ごく一部の優秀な学力層のみ」
「普通程度の学力層の子は、
『答えのない』問いに出くわしたら
答える気力を失う」
「『社会化』の上に『個性』が成り立つのであって、
学校で基本的なことを身につけさせなければ、
社会に受け入れられない」
などなど。
自分がモヤモヤして抱いていた感情を
明快に言葉にして説明してくれました。
この中でも一番「そうそう」と思ったのは、
「普通程度の学力層の子は、
『答えのない』問いに出くわしたら
答える気力を失う」
という部分です。
これは生徒に教えていると本当に実感します。
「答えがない」問題に取り組めるのは、
ある程度の学力がある子だけです。
普通程度の子供では、
「答えがない」問題に遭遇した時、
子供たちは思考停止に陥ってしまいます。
そうした「大多数」の子供たちの
現状を置き去りにして
これからの教育制度改革は
進んでいくような気がしています。
これまで公立学校で教えられていた
「基礎学力」が脇に追いやられ、
代わりに答えのない「探求」の
時間が増える。
学校で学べなくなった基礎学力を
どこで身につけるのか。
それは「塾」などの民間業者に
頼るしかなくなる。
経済力のある家庭であれば
塾に通わせることができるが、
余裕のない家庭であれば
学校に頼らざるを得ない。
結果、これまで以上に経済格差が
学力格差となって現れる。
そうした状況を危惧しています。
「塾」という立場からすれば
むしろビジネスチャンスが増えるのだから
いい時代になる、と言えるのかもしれませんが、
「国家の教育政策」という視点から考えた時、
果たしてそれが本当にいいことなのか、
どうしても疑問に思ってしまいます。
あくまでも個人的な予測なので、
現実にはそうならないかもしれません。
むしろ予想は外れてほしいです。
ですが、もしそうなった時に自分が
できることは何なのか。
教育に携わる者として
考えなければならないと思っています。