「コスパ」「タイパ」もいいけれど
2025/4/18
「コスパ」「タイパ」
今の若い人は
「コスパ」「タイパ」
を重視するらしいです。
コスパは「コストパフォーマンス」
タイパは「コストパフォーマンス」
を略した言葉です。
「効率よく成果を出したい」
という意識が強い、ということなのだろうと思います。
これは非常にいい考え方だと思いますし、重要な視点だと思います。
我々が思春期を過ごした「昭和の時代」は、まだ「根性論」の残滓が残る時代でもありました。
「根性があれば、なんとかなる」
「結果が出ないのは『根性』がないから」
私自身、根性論は嫌いではないです。
が、それでも
「やれば、なんとかなる」
という、判で押したようなお題目を唱えるばかりで、具体的な「施策」を提示しない指導には、辟易としていた部分もありました。
「根性根性言うんだったら、あんたらがそれをやってみせろよ」
そう思いながら、渋々付き従っていた記憶があります。
そのような時代と比べれば、今は優良な情報がインターネットを通じて、簡単に手に入る時代です。
「科学的根拠」を元にして、無駄のない教育を受けることができる。
無駄がなくなれば、それだけ自分の時間もできます。
これからの時代を生きる若者は、人数が少ないため、
「効率よく稼げるようにならないと、自分の時間が取れなくなる」
ということを、本能的にわかっているのかもしれません。
なので、若い人たちが「タイパ」「コスパ」に熱心なのは、時代の要請でもあり、ある意味当然のことのように感じられます。
「効率」を求めるあまり
ただ、その一方で、
「『タイパ・コスパ』にこだわりすぎてはいないかい?」
と思うこともあります。
「無駄」を嫌うあまり、「簡単にやって、成果が出る」ことしかやらない。
生徒たちを指導していると、そうした傾向があるのが気になります。
これは「生徒たち」もそうですが、むしろ「親」にその傾向がある気がします。
それを特に感じるのが
「漢字」「計算」
といった、反復練習で身につけさせる内容です。
「漢字」「計算」というのは、ただ形ややり方を知っているだけでは「身についた」とは言えません。
繰り返し練習することによって、初めて身につくことができる。
そう思っています。
今の生徒たちは、こうした「反復練習」によって鍛えられていない、ということをものすごく感じます。
特に小学生。
「算数が苦手です」
「国語が読めません」
という相談を受け、実際に生徒を指導してみますが、
「苦手」
「理解できていない」
というよりも
「鍛えられていない」
という印象を、ものすごく受けます。
「一度授業を聞いたから、わかっているはず」
「一回問題を解いたから、できるはず」
そういう感じの生徒が多いです。
結果、辞めていく
「漢字」「計算」ができるようになるには「反復練習」しかありません。
なので、授業だけでは足りず、当然宿題を出します。
ですが、こうした「鍛えられていない」生徒たちは、反復練習を嫌がります。
「この問題、前にやりましたよ」
そう言って、繰り返すことを嫌がります。
それで試しに同じ問題を解かせてみると、見事に間違える。
これでは、「漢字」「計算」は身につきません。
「知れば簡単に問題が解けるようになる、魔法の薬」
のようなものを求めているのかもしれません。
ですが、そんなものはありません。
地道に、繰り返し練習をする。
それ以外に、方法はありません。
少なくとも、私は「魔法の薬」なんて持っていません。
なので、宿題を出し続けると、
「ここに『魔法の薬』はなかった」
と思って辞めていく。
そうなります。
これは「タイパ」「コスパ」を重視しすぎるあまりの、よくない傾向だと思っています。
「反復練習」の意味
確かに「効率」は重要です。
ですが、今の生徒たちは、「効率主義」に毒されているあまり、
「失敗しながら、何かをつかんでいく」
という経験が不足している。
そのように感じています。
「本当に自分の身になるもの」
というのは、様々な「無駄」「失敗」を経ていく中で、自分なりにつかんでいく。
そういうものではないかと思います。
ピーター・ドラッカーの言葉の中に
「子供だろうと大人だろうと、反復練習すなわち知識の体系的な反復が不可欠である。しかる後に意味を理解しなければならない」
というものがあります。
今の若い人たちは、成果を求めるあまり、「頭でっかち」になりすぎていないだろうか。
その点を、非常に危惧しています。
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