今後の義務教育
2020/8/6
塾向けのメルマガを毎週読んでいます。
今週は「今後の義務教育」についての
展望が書かれていました。
非常に考えさせられる内容だったので、
転載したいと思います。
ぜひ読んでみて下さい。
(以下転載)
『学びのないところに思考力は生まれない!』
◇昨今の教育は、学ぶこと以上に、子どもたちに考えることを要求しよ
うとしています。しかし、考えてしまえば、何も学べないのです。学ぶ
とは、自分の考えをまずは脇に置いて、素直に先行者を真似ることです。
真似て、反復して、そして、それができるように訓練していくこと、そ
の過程を学ぶというのです。ここを抜きにしては、考える土台が形成さ
れません。なぜならば、思考もまた形の賜物だからです。
うとしています。しかし、考えてしまえば、何も学べないのです。学ぶ
とは、自分の考えをまずは脇に置いて、素直に先行者を真似ることです。
真似て、反復して、そして、それができるように訓練していくこと、そ
の過程を学ぶというのです。ここを抜きにしては、考える土台が形成さ
れません。なぜならば、思考もまた形の賜物だからです。
◇昨今の教育は、この土台のないところに、「さあ、みんな考えろ!」
と生徒を放り出すようなことを考えているのです。これを義務教育段階
で行っていけば、どうなってしまうか、これはもう火を見るよりも明ら
かです。何も考えられない人間が作られていくことになるのです。
と生徒を放り出すようなことを考えているのです。これを義務教育段階
で行っていけば、どうなってしまうか、これはもう火を見るよりも明ら
かです。何も考えられない人間が作られていくことになるのです。
◇義務教育の段階では、まず学ぶことを子どもたちに徹底的に要求する
ことです。それこそ、その次の段階で、考えることを徹底的に要求して
いけばよいのです。義務教育の段階で、目新しいアクティブラーニング
やら反転授業やらという形だけ新しそうな教授方法をやってみても仕方
がないのです。
ことです。それこそ、その次の段階で、考えることを徹底的に要求して
いけばよいのです。義務教育の段階で、目新しいアクティブラーニング
やら反転授業やらという形だけ新しそうな教授方法をやってみても仕方
がないのです。
逆に、そういう非定形的な教授方法では、全体的に子どもたちの学力を
向上させることは難しくなります。それは、学習に対する意欲の低い子
どもたちにとっては、何を目指して勉強していけばよいのか、はっきり
わからないからです。逆に、学習に対する意欲の高い子どもたちだけが、
色々と試行錯誤をして、学力を獲得していくことになります。
向上させることは難しくなります。それは、学習に対する意欲の低い子
どもたちにとっては、何を目指して勉強していけばよいのか、はっきり
わからないからです。逆に、学習に対する意欲の高い子どもたちだけが、
色々と試行錯誤をして、学力を獲得していくことになります。
◇これは、今から100年も前に、ジョン・デューイがシカゴ大学付属
小学校で行った、総合学習に関する素晴らしい実践が、私たちに教えて
くれたことです。その素晴らしい実践は、アメリカ全土の小学校で総合
学習の時間として導入されました。しかし、シカゴ大学付属小学校では
上手く行った実践でしたが(ほとんどの生徒が学習意欲が高かったので
上手くいったのです)、アメリカ全土の小学校では、散々たる結果にな
りました。
小学校で行った、総合学習に関する素晴らしい実践が、私たちに教えて
くれたことです。その素晴らしい実践は、アメリカ全土の小学校で総合
学習の時間として導入されました。しかし、シカゴ大学付属小学校では
上手く行った実践でしたが(ほとんどの生徒が学習意欲が高かったので
上手くいったのです)、アメリカ全土の小学校では、散々たる結果にな
りました。
それは、学力の低い子どもは、総合学習では学力が伸びず、というより
も低下をし、学力の高い子どもは、それなりに学力が伸びたのです。目
的が明確ではない学習に対して、学習意欲の低い子どもたちは、どうし
てよいかわからなかったのです。結局は、子どもたちの学力が二極化し
てしまいました。この試みと同じようなことを、今まさに教育行政は行
おうとしてるのです。あの2002年の教育改革で失敗したことと同じ
ことを。
も低下をし、学力の高い子どもは、それなりに学力が伸びたのです。目
的が明確ではない学習に対して、学習意欲の低い子どもたちは、どうし
てよいかわからなかったのです。結局は、子どもたちの学力が二極化し
てしまいました。この試みと同じようなことを、今まさに教育行政は行
おうとしてるのです。あの2002年の教育改革で失敗したことと同じ
ことを。
◇義務教育段階では、考える前に、学ぶことを徹底して行った方が良い
のです。国民全体の学力が国力を決定するのです。思考力はその次です。
グローバル社会になったからと言って、人間の基本は変わらないのです。
まずは、学ぶこと、そして、物事の考え方の形を学ぶことです。それか
ら先は、思考力を身に付けたい人が、身に付けるような勉強をしていけ
ばよいのです。
のです。国民全体の学力が国力を決定するのです。思考力はその次です。
グローバル社会になったからと言って、人間の基本は変わらないのです。
まずは、学ぶこと、そして、物事の考え方の形を学ぶことです。それか
ら先は、思考力を身に付けたい人が、身に付けるような勉強をしていけ
ばよいのです。
思考力なんて、全員が身につくほど甘いものではないのです。教育行政
の甘い言葉に乗らないことです。しっかりとした形のある人間が強いの
です。そのことを私たちは、自覚的に実践していきましょう。
の甘い言葉に乗らないことです。しっかりとした形のある人間が強いの
です。そのことを私たちは、自覚的に実践していきましょう。
【出典】
メールマガジン「塾経営の戦略・戦術エキストラ」
571号 『学びのないところに思考力は生まれない!』
(作者:教育コンサルタント 中土井鉄信)
571号 『学びのないところに思考力は生まれない!』
(作者:教育コンサルタント 中土井鉄信)
(以上)
小学校は今年から、中学校は来年から
新しい学習指導要領が始まります。
その中で「アクティブ・ラーニング」と
いうのが目玉になっています。
「子どもたちが、自分で考えて、
自由な意見を言えるような教育する」
という趣旨だと思います。
ですが、現場で生徒を見ている立場から言うと
これは失敗に終わる可能性が高いと感じています。
なぜなら、
子どもたちは「答えのない」問題に
取り組むことができない
からです。
たとえば国語の記述問題で
「自分の意見を書いてみよう」と言っても
書き出せる生徒はほんの一握りです。
ほとんどの生徒が固まってしまいます。
生徒の立場から言えば
「何をやったらいいのか、教えてくれなきゃわからない」
という状態なのだと思います。
「自分の意見」を言うには
まず「知識」を身につける必要があります。
「知識」を身につけることに四苦八苦している
子どもたちに、「自分の意見を述べよう!」と
言っても、思考停止状態になるだけだと思います。
結果、学ぶ意欲の高い生徒は伸びるかもしれませんが、
大多数の普通の生徒が置いてけぼりになってしまう。
そんな危惧を抱いています。
塾としては、
「学校で学力が身につかない」という状況になるのは
ある意味「おいしい」環境なのかもしれません。
ですが、塾はどこまでいっても塾であり、
毎日通っている学校の代替機関になることは
難しいと思います。
「基礎学力が身についていない子どもたち」が
生み出され続ける状況を思い描くと
暗澹たる気持ちになります。
少なくとも当塾では、
「詰め込み教育」を否定せず、
徹底的に基礎学力を習得させる。
そのように指導していくつもりです。
安易な流行に乗って、
「空っぽ」の子どもを育てていく気には、
どうしてもなれません。
自分の信念に従って指導していきたい
と思っています。