「先の見えない現代社会」という言葉
2023/1/31
教育関係の本やネット記事を読んでいると、
「先の見えない現代社会において、子どもたちに生きる力を身につけさせる」
ことの重要性を問う内容を、よく目にします。
「先の見えない現代社会」
「先の見えない現代社会」
という言葉。
以前は「確かにそうだな」と思うことの方が多かったです。
僕らが高校生の頃は、ようやく携帯電話が一般に普及し始めた頃でした。
その時に、だれが「インターネット全盛」の時代を予想できたでしょうか。
「今の中学生の半分くらいは、今の時代には存在しない職業に就いているかもしれない」
なんていう記事も読んだことがあります。
今は変化の激しい時代だと思います。なので、あながちそれも間違いではないのかな、という気がします。
「そうした誰もが予想できない時代を生き抜くための『力』を、子どもたちに身につけさせなければならない」
多くの教育関係者が感じていることだと思います。
その一方で
ただ、その一方で、最近ふとこんなことも思いました。
そもそも過去において、「先の読めた時代」なんてあったのかな、と。
強いて言えば、戦後。
「いい成績」を取って、「いい高校・いい大学」に進学し、「いい会社」に入って、定年まで勤め上げて、老後は年金と退職金で悠々自適に暮らす。
そうした「人生設計」が描けた時代も、「昭和」ではあったのかもしれません。
ですが、歴史を振り返ると、そうした「先の読めた」時代の方が、逆に少ないんじゃないかな。
最近は歴史小説や大河ドラマばかり見ているせいか、
「いつの時代であっても、『先の読めた』時代なんてなかったんじゃないか」
と感じることの方が多いです。
そう考えると、今の時代に生きる我々が
「先の見えない時代」
と言ってあたふたしているのは、なんともいえない、滑稽なことのように感じる。
このように、一歩引いて、どこか冷めた自分がいます。
いつの時代も
なので、
「先の見えない時代だからこそ、新しい〇〇という技術を身につけなければならない」
という宣伝文句には、ちょっと引いてしまいます。
結局その新しい「〇〇」という技術も、時代が経って、子どもたちが大人になる頃には「不要なもの」になるんじゃないかな。
そんな気がしてしまいます。
いつの時代も「先の見えない時代」を生きている。
では、どのようなことを子どもたちに身につけさせていけばいいのか。
そう考えると、取り立てて新しいことに飛びつくのではなく、むしろ
「基本的だと思われること」
を徹底してやるようにした方がいいのではないか。
そうすると、昔ながらの
「読み・書き・そろばん」
というところに落ち着くのかな。
ここをきちんと身につけさせておけば、あとは子どもたちが成長するにつれて、自分で考えて行動していくのではないか。
少なくとも私は、そのように感じますし、自分の中の「直感のようなもの」にもしっくりくるような気がしています。
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