「計算」から見える「個性」
2023/5/12
新年度が始まり、1ヶ月が過ぎました。
今月後半には、いくつかの中学で、早くも「1学期中間テスト」があります。
テストに向けて、必死に準備している生徒を見ていて、ふと思ったことがありました。
同じようなことをやらせてみると…
それは「数学」を指導している時のことです。
どの学年も、新年度は「計算」からスタートします。
そのため、この時期は、生徒たちが一斉に「計算」に取り組んでいる姿を見るわけですが、「計算のやり方」を見ていると、ふとあることに気づきました。
それは
「同じようなことをする計算でも、生徒ひとりひとりの個性が出る」
ということです。
「計算」は、数学の中では、基本的な内容になります。
そのため、ある程度、解き方は決まっています。
なので、繰り返し練習して身につければ、解き方にそれほど大きな差が出ない。
そう思われるところです。
ですが、実際に横に並べて取り組ませてみると、そうではない。
教わったとおりにきちんと解ける生徒もいれば、教えたとおりにやらずに手を抜いてやる生徒もいる。
中には、「そんなやり方、どこで習ったの?」と思うようなやり方をする子も出てくる。
同じ「計算問題」を解くのでも、ここまで様々な「個性」というものが出るんだな、ということを思いました。
そして、計算が解ける生徒であっても、答えを導くまでの「過程」を見ていると、その子の性格が垣間見えます。
教わったことそのままに、きっちりとやる子。
こうした生徒は優秀ですが、ちょっと融通がきかなかったり、「頭でっかち」になりがちな気がします。
一方、基本はきちんと踏まえているのですが、それを少し工夫して、効率よく解くようにしている生徒。
こうした生徒は「要領がいい」という感じがします。別の教科を教えていても、「そつなく覚えていく」と言う印象です。
個性が出なさそうな「同じようなこと」を繰り返しやらせてみると、逆にその生徒の「本当の個性」というものが見えるような気がします。
「数学は社会に出てから使わない」と言うが
「数学なんて、社会に出てから使わないから、役に立たない」
これは、よく聞く言葉です。
「確かにそうだな」
と思うこともありますが、一方で
「数学の得手不得手から、見えることもある」
ということも、長年生徒を指導していると思います。
例えば、先に述べてきた「計算」ですが、計算がきちんとできる生徒は、他のことにおける「段取り」もいいような気がします。
やるべきことを順序立てて、1つ1つきちんとやり切れる。
一方、計算が苦手な生徒は、他のことをやらせても「とっ散らかす」ような気がします。
順序立てて、1つ1つ物事を終わらせることができないので、何事も中途半端。
そのような気がします。
なので、生徒の計算のやり方を見ていると、
「この生徒は教えたとおりにきちんと計算ができるから、大人になっても、指示通りに、きっちりと仕事ができるだろうな」
とか
「この生徒は途中式で手を抜くから、きっと大人になって仕事をする時にも、簡単な仕事では手を抜くんだろうな」
なんてことを思ってしまいます。
「数学ができれば、全員仕事もできる」
ということは言い過ぎかな、と思います。
ですが、
「数学ができた方が、その考え方を応用して、大人になった時に、仕事に幅を持たせることができる」
ということは、言えるのではないか。
そう思います。
たかが「計算」。されど「計算」です。
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