同じことを教えていても
2024/5/20
松下幸之助の言葉
松下幸之助の言葉に、このようなものがありました。
落語家の噺は、聞いていると面白いのですが、その台本を読んでみると、聞く時の面白味は少しも味わえません。
いかに立派な筋書きを与えられていても、それを味よく先方にお届けできるかどうかは、販売に当たる人が、それだけの訓練を自ら培うかどうかにかかっているのです。
そしてその根底となるものが、誠心誠意だと思います。誠心誠意がなければ、どんなに立派な筋書きでも、それは実を結ばないアダ花となってしまいます。
(『商売心得帖』より)
同じことを教えていても
これは「教育」にも当てはまることなのだろうと思います。
教科書に書かれていることを、生徒たちには教えている。
「同じ内容」を教えているはずなのに、一方の先生はわかりやすく、一方の先生はわかりにくい。
教え方の「うまい」「下手」ということもあると思いますが、その根底には「誠心誠意」というものがあるのかな、と思いました。
今は無料動画が気軽に見られる時代です。
私自身、生徒指導の参考のために色々な動画を見比べています。
わかりやすい説明もあれば、わかりにくい説明もある。
「その違いは何かな?」
ということを考えると、わかりやすい説明の方は、聞く人に対して「理解してほしい」という気持ちがこめられている。
そのため、言葉づかいも自然と平易になっているような気がします。
一方、わかりにくい説明の方は、確かに教えている内容は間違ってはいない。
けれどもそこに「誠意」がないため、ただ内容を話しているだけになってしまっている。
その部分が、大きな差になるのかな、という気がしています。
目には見えないものだけど
「誠心誠意」というものは、目には見えないものです。
また、残念ながら、こちらが「誠心誠意」を尽くしても、受け取る側の「心の持ちよう」によっては、伝わらないこともあるのが現実です。
ですが、伝わる相手には確実に伝わるものでもあるように思います。
生徒を指導していると、ついつい
「このくらいであればわかるだろう」
という気持ちになって、きちんと心がこもらなくなってしまうことがあります。
ですが、それでは相手には伝わらない。
相手に何かを伝えようとするのであれば、まずはこちらの「誠心誠意」を示さなければならない。
松下幸之助の言葉から、そのようなことを思いました。
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