「学問のすゝめ」
2025/11/12
「学問のすゝめ」
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり
福沢諭吉先生がお書きになった「学問のすゝめ」の有名な一節です。
私が好きなのは、この後。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
賢人と愚人との差は、「学ぶか学ばないか」によって決まる。
この言葉が、心に響いています。
親の意識が二分化
先日文部科学省が発表した「令和6年度全国学力・学習状況調査」の際に、保護者の意識調査も行われました。
その中で、
「子どもの学習に対する保護者の関心が二極化している」
という結果が出ました。
「学校が楽しければ、良い成績を取ることにはこだわらないと考えるか」
という質問があったのですが、
「こだわらない」と答えた層と、「こだわる」と答えた層が、ちょうど半々くらいになりました。
「学校に楽しく通ってくれれば、それでいい」
と考える親が増えている傾向を示しているそうです。
その傾向が反映されているのかどうかはわかりませんが、ここ数年の生徒たちを見ていると
「勉強ができる生徒」
「勉強が苦手な生徒」
の二極化が進んでいるように感じます。
親の意向が、子どもたちの成績にそのまま反映されている。
この調査結果を見て、そのように感じました。
「勉強ばかり」がすべてではない。が…
「勉強ができる」ことがすべてではありません。
世界的な企業を作った松下幸之助や本田宗一郎は高校にも行っていませんが、いずれも立派な業績を成し遂げました。
私が尊敬する経営者の方が何名かいらっしゃるのですが、そうした方々は、「学歴」でいえば「低学歴」の部類に属する方が多い。
学歴は低くとも、立派な業績を成し遂げられている。
なので、
「学歴がなければ、惨めな人生を送る」
という考え方には、あまり興味がありません。
ただ、その一方で、
「『学ばずに幼少期を過ごす』ということは、大人になった時を考えると、かなり危うい」
ということを感じます。
「学ぶ」ということは、「大人になって社会に出るための準備」という側面があると思います。
そうした準備を小さいうちにしないまま大人になって社会に出る。
そうしたものの危うさを感じます。
昔も勉強ができない子はいました。
ただ、そうした子は「手に職をつける」ではないですが、大人になってから食べていけるような技能を身につけさせる。
そうした風習があったように思います。
なので、勉強が苦手な子は
「勉強なんてしなくてもいい。その代わり、大人になってから困らないような技能を身につける訓練をする」
という考え方が通用したのだと思います。
そうしたことを考えると、今の
「学校に楽しく通ってくれれば、それでいい」
という親の考え方には、果たしてそこまでの考えがあるのか。
幼少期に「学ぶ」ことをさせず、「社会に出る準備をしない」ままにしておくことが、本当にいいことなのか。
それは大人の「怠慢」というべきではないのか。
我々大人は、いま一度、福沢諭吉先生の
「学問のすゝめ」
の精神を学ぶ必要があるのではないか。
そのようなことを、最近思っています。
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