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「国語を教えろ」と言うけれど

2023/3/23

国語を「教えて伸ばす」のは難しい

国語の指導は難しいです。

数学や理科は、「解き方の流れ」を伝えて、それを真似させれば、ある程度理解させることはできます。

うまく説明できなくても

「ここを、こうやって…」

と、実際の「動き」を見せれば、理解できる部分もあります。

ですが、国語の場合、これができません。

解答を導くための「根拠」はありますが、それを示すには「言葉」が必要になります。

国語が苦手な生徒というのは、圧倒的に「語彙力」が足りません。

また、話の流れを理解する「論理的思考」も弱い感じです。

そのため、どれだけこちらで説明しても、

「なんとなく聞いた」

だけで終わってしまいます。

また、国語の問題の場合は、「再現性」が少ないです。

数学の場合は、

「この問題であれば、この解き方」

というような「パターン」があります。

なので、その「パターン」を覚えておくことで、問題が解けるようになります。

ですが、国語の場合は、そのような「パターン」のようなものはありません。

あるかもしれませんが、それはかなり「抽象的な」ものになります。

なので、「具体的に」問題を解く時に、その「パターン」があてはまるかどうか、ということを判断しなければなりません。

その場合、「言葉」を知らなければ、

「この問題には、このパターンが当てはまる」

という判断をすることができません。

なので、数学のように「パターン」を覚えても、「使いこなせない」ということになってしまいます。

こういった理由から、国語を「教えて伸ばす」というのは、非常に難しいです。

国語を鍛えるためにやったこと

では、「国語を伸ばしていく」にはどうすればいいか。

私自身の経験で恐縮ですが、国語の実力をつけるには、

「本人の意識」
「日々の努力」

が重要になると思っています。

私が国語を練習する上で意識していたのは、以下の通りです。

①文を書く時には「知っている漢字」を使うように意識する

習った漢字はすぐに使うようにしました。

ただ「漢字練習」だけでノートに書いても、すぐに忘れてしまいます。

自分で文を書く機会がある時に、積極的に漢字を使うことで、着実に覚えていくようにしました。

②文を読む時には、「文法」を意識する。特に「主語」「述語」「目的語」を意識する

文法を習ったあとで、文法を意識しながら文を読んだところ、

「結局、文というのは『主語』『述語』『目的語』を押さえれば、大まかに理解できるんだな」

ということを、なんとなく理解することができました。

なので、ただ文法を「テストの問題」として覚えただけでなく、普段から文を読む時に、

「この文の述語がこれだから、主語は…」

というようなことを考えて読むようにしました。

③作文問題で書けなかったものは、「解答をそっくりそのまま書き写す」。その際に「どのように書けばよかったのか」を、解説を読んで確認する

作文問題で困るのが

「何を書いたらいいかが、わからない」

という点です。

なので、書けそうな問題については、自分なりに書いてみましたが、何を書いていいのかわからない問題については、

「とにかく真似をする」

という意識で、書き写していました。

その際、「ただ写す」のではなく、

「なぜ、このように書けばいいのだろう」
「どの部分から、このようなことが言えるのだろう」

という部分を、本文や解説とにらめっこしながら、確認しながら書き写していきました。

こうしたことを繰り返していくうちに、なんとなく「書く」内容のコツをつかんでいった気がします。

④知らない言葉が出てきたら調べる。その際に、漢字の意味や文の前後関係から「この言葉は、きっとこういう意味なんじゃないか」と予測する

知らない言葉が出てきたら、とにかく辞書を引いて調べました。

小学校の時に、自分の中で

「空前の辞書ブーム」

というのがあり、「知らない言葉を、ひたすら辞書で調べる」ということを図書館でやっていた時期がありました。

大きくなるにつれて、そのような面倒なことはしなくなりました。

が、その時の名残で、「知らない言葉が出てきたら調べる」というクセがついたような気がします。

また、調べるのが面倒な時は、使われている漢字から、

「この言葉の意味は、きっとこういうことだろう」

ということを推測し、前後の文の関係から意味が通じたら、「合ってる」と判断していました。

そして、余裕がある時に調べてみて、

「やっぱりあっていた」
「予想とは違う意味だった」

と答え合わせをしていました。

このようにして、語彙を増やしていきました。

国語とは「読み」と「書き」

正直、国語に関しては、あまり意識して「勉強」をしたという感覚がありません。

ですが、日頃読書をする時に、

「ちょっと文法を意識」

してみたり、

「知らない言葉を調べる」

ということは、やりました。

また、文章を書く時には、

「極力ひらがなを使わない」

という意識で書いていました。

こうした日々の積み重ねによって、国語の力がついたような気がします。

なので、このようにして国語を鍛えてきた自分の目から見ると、

「国語が苦手」

と言っている生徒の取り組みが、「甘っちょろく」感じられます。

「漢字を使って書きなさい」

と言っているのに、「ひらがなだらけ」の文。

「ていねいに書き写しなさい」

と言っているのに、「ちゃっちゃ」と書いた解答用紙。

「そんなに早く読み終わらないだろう」

という文章を、「ちゃっちゃ」と読んで、全然意味をわかっていない状態。

日頃の取り組みは甘いのに、

「国語ができないので、何とかして下さい。」

と、要求だけはする。

日頃から地道に取り組んでいた私の目から見れば、そうした生徒の姿勢は

「なめている」

としか思えません。

「教えろ」という前に、

「まずはやるべきことがあるだろう」

と思います。

国語が苦手な生徒には、まず日頃の

「読み」「書き」

の場面を、もう少し真剣に取り組むことを勧めます。

結局、国語は

「読み」「書き」

の力を問う教科です。

そして、「読み」「書き」を鍛える場は、日常生活に転がっています。

そうした機会を無駄にせずに、まずは真剣に向かい合う。

そうした「地道な姿勢」が、国語を伸ばす上では大事だと思います。

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