小善と大善
2023/11/16
小善と大善
毎朝読んでいる「稲盛和夫一日一言」。
今日のテーマは「小善と大善」でした。
親が子どもを甘やかすあまり、子どもは自分では何もできないようになってしまう。
逆に、厳しい親に育てられた子どもは、自分を鍛錬することを学ぶ。
前者を小善、後者を大善という。
非常に考えさせられる言葉です。
その瞬間はよくても
この「小善と大善」という考え方。
生徒を指導している時にも感じます。
生徒から「わからない」という質問があった場合。
普通は「わからないことについて、教えればいい」と思います。
ですが、ただ「教えてしまう」だけで、それが本当にその子の成長につながるのか。
指導者はその点を考えなければいけないと思っています。
子どもたちの「わからない」という質問の中には、
「自分で考えるのがめんどくさい」
という、怠け心が潜んでいることがあります。
このような時に、安易に手を差し伸べてしまうと、その時点で子どもの成長はなくなってしまいます。
なので、そうした様子が見えた場合には、
「まずは自分の頭で考えたり、調べてごらん」
という風に、質問に答えない。
そうした対応をすることがあります。
また、「ちょっと難しい問題」の場合、「本当にわからない」から質問している」という場合もあります。
ですが、
「その子の実力であれば、自分の力で考えれば、答えまでたどりつける」
と思われる場合があります。
そういう時もあえて、
「まずは自分で考えてごらん」
という風に、突き放すこともあります。
「自分で考える」ことが大事
生徒たちを指導していると、
「すぐに人に頼りたがる」
という傾向があるように感じています。
「失敗を異常に恐れている」
という言い方もできます。
なので、生徒たちには
「失敗を通して学ぶ」
という経験を、勉強を通して積んでいってほしい。
そう思っています。
生きていく中で、
「答えのない場面を、自分の力で切り拓いていく」
という場面が必ずやってきます。
そうした時に、
「どうすればいいですか?」
と、他人に自己の判断を委ねてばかりいたのでは、それは「自分の人生」を歩んでいないことになってしまいます。
生徒たちには、そうした大人にはなってほしくない。
そう思います。
長い目で考える
正直、聞かれた質問に対しては、サッサと答えてしまって方がラクです。
その時点では、生徒は満足するし、こちらもすぐに対応が終わります。
短期的に見れば、それでいいのかもしれません。
ですが、長期的に見れば、安易に答えてしまうことは、生徒自身の「考える力」を奪ってしまいます。
それは、当塾の目指すところではありません。
「自分の頭で考えて、行動することができる」
そうした人間を、数多く育てたい。
そのためには、優しく手を差し伸べるだけでなく、時には厳しく突き放し、
「あえて見守る」
という姿勢が大事。
そのように思っています。
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