古地図片手に歩く
2022/9/12
昨日は、安曇野市の文書館が実施した、こちらの講座に参加しました。
日頃から「拾ヶ堰」について強い興味と関心を持っていました。
「だれか詳しい人に、色々と解説してほしいな…」
と思っていたところ、「広報あづみの」にこちらの講座が載っていたので、速攻で申し込みました。
「興味を持って探していると、色々なものを引き寄せるな」
ということを、改めて思いました。
古地図発見
そもそもこの講座が企画されたのは、昨年、市内の個人宅から「拾ヶ堰全体の絵図」が発見されたからだそう。
こちらが地図の最初の部分。「筑摩県」というネーミングが、歴史を感じさせます。
この地図を元に、現在の拾ヶ堰と比べてみたら、「当時と変わっていない部分が多かった」ということで、今回の企画が行われたそうです。
古地図片手に拾ヶ堰を歩く。「ブラタモリ」のような企画でした。
馴染みの場所が
そうして、古地図についての話をひとしきりうかがった後、さっそく拾ヶ堰をブラブラしました。
今回は「堀金支所~中掘神社」までの区間を歩きました。往復4kmくらい。ちょうどいい散歩にもなりました。
上堀神社のあたりの古地図。現在の状況とほぼ変わりがありません。
「万水川放水地点」の古地図と、現在の様子。
昔は拾ヶ堰の「上」を、川が通っていたのですが、今は拾ヶ堰の「下」に川が流れています。
「技術の進歩を感じる」とのことでした。
上樋と拾ヶ堰。拾ヶ堰を別の堰が横切る場合、このように立体交差させて流すようになっていました。
「いったん合流させてから、改めて流れるようにした方が楽なんじゃないか…」
と思いましたが、そこには、昔の「水の利権」を巡る争いがあったようです。
「水って貴重だったんだな」
ということを、こうした遺跡を見ることで実感することができました。
深層心理に刷り込む
歳をとったせいでしょうか、若い頃はまったく興味のなかった「地元の歴史」について、強い関心を持つようになりました。
特に「拾ヶ堰」については、日頃ランニングでよく川沿いを走っているせいか、とても親しみを感じます。
そもそも「なぜ『拾ヶ堰』というんだろう?」という疑問を持っていたのですが、昨日あっさりとその謎も解けたので、その意味でも「参加してよかったな」と思いました。
参加者は年配の方ばかりでしたが、若い世代にもこうした講座はやった方がいいのかな、という気がします。
その時は「つまんないな…」と思っても、何十年かしたら、いい思い出となってよみがえってくることがあるかもしれません。
かくいう私も、中学時代「堀金の水を調べるクラブ」などという、かなりマニアックなクラブに所属していたことがあります。
当時はふざけて「第二希望」で選択したら、そのまま所属させられたので、「おいおい…」と思っていました。
ですが、自転車に乗って、拾ヶ堰の取水場所まで見学に行った記憶が何となくあります。
そうした中学時代の体験だったり、小学校の時の先生が、熱く「拾ヶ堰のすごさ」を語ってくれたことが、今の自分の興味につながっているような気がしています。
なので、生徒たちにも「拾ヶ堰のすごさ」について、ちょこちょこと語っていきたいと思います。
深層心理に刷り込まれた形で、生徒たちが大人になった時、少しでも興味を持ってもらえたらいいな。そう思っています。
☆YouTubeチャンネルもやっています
https://www.youtube.com/channel/UCcorE8DZR8FqA_EX2tlHo-A/featured?view_as=subscriber
ぜひご覧ください。