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猿田塾

「古典」を学ぶ意義

2025/10/15

古典不要論

「古典など学んでも、現代の生活では使わないのだから、やらない方がいい」

という話を聞きます。

今の学生は学ぶことが多すぎるので、「教科の取捨選択の一環」として出てきた意見だと記憶しています。

「使わない古典を学ぶよりも、『契約書の読み方』など、日常生活で役に立つ内容を学んだ方が、実用的」

という話も聞いたことがあります。

まあ、確かにそういう側面もあるかな、という気がします。

ですが、個人的には

「古典は学んだ方がいいかな」

ということを感じています。

古典は「永遠のベストセラー」

正確に記憶していないのですが、ドラマ「古畑任三郎」の中で

「古典は永遠のベストセラー」

というような意味のセリフを聞いたことがあります。

「古典というのは、世代を越えて長く親しまれてきたもの」

「そういう長く親しまれてきた古典を学ぶ意味はあると思う」

落語の師匠が、人気はあるけれども古典を学ばない弟子に、このような流れで説教をする、というシーンでした。

このセリフが、妙に頭の中に残り続けています。

今の我々からすれば「意味不明」な古典も、内容を理解すれば、

「長く人々から支持されてきた理由」

というものが、潜んでいる。

それを学ぶことは、決して無駄なことではない。

そういうことを意味しているのではないか、という気がしています。

古典は「過去問」

また、最近思うのは

「古典は『過去問』と似ている」

ということです。

今、我々が使っている文章というものは、自分でゼロから編み出しているということは、実は少ないです。

「他の人が話したり、書いたりした内容」

を参考に、文章を書いている。

そして、参考にされるような文章を書いている人も、おそらく、別の人の文章を参考にしている。

その時に、参考にするのは

「自分よりも前の時代の人が書いたもの」

になる。

そうやってさかのぼっていくと、意識していないけれども、今の我々が操っている文章の中にも

「古典のエッセンス」

が知らず知らずのうちに織り込まれているのではないか。

テスト勉強の対策として、

「過去問を解く」

というのは王道です。

「前に出た問題を解くことで、将来出題されるであろう問題に備える」

という意味があります。

それと同じ流れで、

「以前の人々に支持された文章を学ぶことで、将来の人々にも受け入れられる文章が書ける」

ということができるようになるのではないか。

そのようなことを感じています。

古典は「教養」

また、古典を嗜むということは

「その人の教養」

を高めることになるように思います。

最近、「昭和」についての本を読む機会が多いのですが、その中で

「昔の政治家は『古典(漢詩)』を嗜む人が多かった。それを自らの教養としていた」

という表現がありました。

昔の政治家は漢詩を学ぶことで、自己修養を行い、人間性を高めていた。

そういうことを言いたいのだと思います。

「教養」というものは、日常生活ではあまり意識されないものですが、

「いざ」

という時に、その人の評価軸となりうるものだと思っています。

そうした「教養」を身につけていく上でも、

「古典を学ぶ」

ということは、決して無駄なことではない。

そのように感じています。

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