「きっかけ」であればいい
2025/10/17
「先生のおかげです」
最近、こちらの本を読んでいます。

麹町中学校や横浜創英中学・高校の校長として、学校改革を進められた工藤勇一先生と、サッカー元日本代表監督で、現在はFC今治のオーナーである岡田武史氏の対談本です。
「リーダー論」がテーマとなっていますが、
「これからの時代の『教育のあり方』」
について、数多く語られています。
その中で、工藤先生の、このような言葉がありました。
『自分が成功したのは先生のおかげです』という言葉は、本当は美しくも何ともない。
「自分の力で物事を考えられるようになったのは、先生がきっかけをくれたからです」くらいでいい。
「我が意を得たり」と思いました。
聞こえはいいが
特に入試の合格発表後、生徒や保護者の方から、このように言っていただけることがあります。
「合格したのは、先生のおかげです」
その言葉自体は嬉しいし、ありがたいな、と思います。
「頑張った甲斐があったな」
という気持ちになります。
ただ、その一方で、
「合格したのは、本人が頑張った結果」
という気持ちもあります。
私自身は、何か特別なことをした訳ではなく、
「ただそばで見ていただけ」
という気持ちが強い。
なので、手放しに「先生のおかげ」ということで称賛されてしまうと、嬉しい反面、何とも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
「そんなに大したことはしてないです」
「すべて、本人の努力の成果です」
と。
成長していく生徒というのは、
「自分自身で考え、行動していった」
人が、圧倒的に多い。
なので、自分の役割は、
生徒たちの方向性が間違わないようにするだけの「きっかけ」にすぎない。
そう思っています。
「依存」してほしくない
また、あまり強く「先生のおかげ」と言われると
「この先、高校に行ってから、大丈夫かな…」
と不安になります。
講師の影響力が強すぎるとそこには「依存」関係が生じます。
講師自身、頼られることは嬉しいことなので、色々と手を尽くす。
しかし、それをやりすぎてしまうと
「講師がいなければ、何もできなくなってしまう」
という人間を生み出してしまうのではないか。
私自身、そのことを一番恐れています。
塾の経営的には
「高校入試から、大学入試まで一貫して通ってもらう」
方が、いいのかもしれません。
実際にそれを推奨する声の方が圧倒的です。
ですが、
「色々な先生と出会う中で、色々な考え方に接してほしい」
「色々な意見を聞く中で、自分で判断して行動してほしい」
という気持ちの方が、自分は強いです。
なので、
「自分の役割は『高校入試』までで十分だな」
という風に思っています。
「忘れる」くらいでちょうどいい
卒業生には、
「時間があったら、たまには塾に顔を出せよ!」
と声をかけます。
ですが、実際に来る生徒はほとんどいません。
来る場合は、「なんらかの用事」がある時くらいです。
「ちゃっかりしてるな」
と思いますが、それでいいと思っています。
充実した高校生活を送っているので、塾に顔を出すなんて暇はない。そもそも記憶にすら残っていない。
その方がいいですし、それが健全です。
塾は生徒たちに「きっかけ」を与えるだけの場に過ぎない。
その「きっかけ」を元に、自分自身の力で成長していく。
それが理想であり、そのような環境をこれからも作っていきたい。
そう思っています。
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