戦国時代の次男
2021/9/16
私自身が「次男」ということもあり、「戦国時代の次男」に最近、ものすごく興味があります。
皆さんは、「戦国時代の次男」と聞いて、誰が挙がるでしょうか?
私の中でパッと浮かぶのはこの3人。
・武田信繁
・豊臣秀長
・真田幸村(信繁)
まず「武田信繁」。こちらは戦国好き、あるいは武田信玄が好きな方であれば、おなじみの武将です。武田家を語る上で欠くことのできない重要人物です。
ただ、一般的にはあまり知られていない人物ではないかと思います。
武田家は信玄の父、信虎の時代に勢力を拡大します。ですが、長男の信玄と相性が悪く、信虎は次男の信繁に家督を譲ることを考えていたと言われています。
そんな信虎を信玄は追放。武田家の家督を自らの手で奪い取ります。
その後、残った次男信繁はどうしたか。父を追放した兄信玄を献身的に支えます。クセの強かった武田家の武将たちをうまくまとめ、強大な武田家臣団の調整役として活躍したと言われています。
そんな信繁は、第4次川中島の戦いで戦死。その後、武田家は信玄の長男義信の謀反騒動などが起き、盤石を誇っていた家臣団の結束に少しずつ亀裂が入っていきます。
この時、「信繁が生きていたら…」と考えた家臣も少なくなかったとか。
武田信玄は京都を目指す道中、志半ばで死んでしまいましたが、もし信繁が生きていたら、武田家が天下を手中に収めていたかもしれず、今とは違った歴史になっていたのかもしれません。
次に「豊臣秀長」。こちらは天下人、豊臣秀吉の弟です。
派手好みの兄秀吉とは違って、弟の秀長は地味な存在でした。こちらも戦国好きには知られている人物ですが、一般の人にはあまり知られていないように思います。
ですが、政治的手腕は相当なものがあり、九州の大名の大友宗麟が大阪城の秀長を訪ねた際、「公儀(表向きの政治)のことは私に、内々(裏の内密な話)のことは宗易殿に」と話した、と言われる逸話が残っています。
秀吉はいわば「豊臣家の顔」としての存在。実際に豊臣政権を動かしていたのは、弟の秀長であったと言われています。
天下人に近づき、徐々に態度が傲慢になっていく秀吉を直接諌めることができた、数少ない人物だったと言われています。
そんな秀長も、武田信繁と同じように兄より先に死去。その後、秀吉の傲慢さには拍車がかかり、千利休の切腹、朝鮮出兵とその独裁ぶりに拍車がかかり、豊臣家崩壊へと進んでいくことになります。
最後は「真田幸村(信繁)」。本名は信繁ですが、実はこの名前、武田信繁を慕っていた父真田昌幸が、武田信繁にあやかって自分の次男に同じ名前を付けた、と言われています。
真田幸村は、武田信繁や豊臣秀長とは違い、大河ドラマ(真田丸)の主役にもなるくらい有名な武将です。「日の本一の兵」と言われ、戦国時代の終盤に活躍します。
幸村は今までに挙げた二人と違い、どちらかというと兄信之を支えたと言うよりも、父昌幸を支え、行動を共にしたという印象が強いです。
いずれにしても、3人の共通点は「主君を献身的に支えた」という点なのかな、と思います。
我が家は三兄弟ですが、もし「猿田家が戦国武将だったら、自分の立ち位置はどうなっていたかな?」と考えることがあります。
そうすると、何となく「裏方」の仕事をやっていたのではないか、という気がしています。それがいちばんしっくりくるというか。
もし、「自分がトップに!」などと思っていたら、きっと織田信行の様になっていたでしょう。
次男というのはそういう存在なのかな、なんてふと思ったりします。
☆YouTubeチャンネルもやっています
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ぜひご覧ください。