「地頭のよさ」とは?
2023/11/21
「地頭がいい」という言葉
「地頭がいい」という言葉があります。
「元々の能力が高い」
という意味なのだと思います。
個人的には、あまり好きな言葉ではありません。
勉強していないことの「言い訳」のように聞こえるし、人は努力によって、いかようにも成長できる。
そう考えているからです。
ですが、色々な生徒を指導していると、
「地頭のよさ」
というものを感じてしまうのも、また事実です。
同じように指導していても、結果がまるで異なってしまう。
同じように話をしても、伝わり方が全然違ってしまう。
そうした現実を目の当たりにすると、
「『地頭のよさ』というのは、あるのかな…」
と思ってしまいます。
この「地頭のよさ」ですが、具体的には、どのような「能力」を意味しているのでしょうか。
個人的には、「言語認識能力」ではないかと感じています。
「言語認識能力」とは
もっとざっくりいうと、
「国語の理解力が高いかどうか」
という能力になります。
生徒を指導していて、一番「差」を感じるのがこの部分です。
例えば、塾で「英単語の覚え方」を教えている場合。
「英単語は、このように覚えると覚えやすいから、やってみよう。」
と、生徒に伝えます。
「国語の理解力が高い」生徒だと、一度言えば、だいたいこちらの指示したとおりに、練習を進めることができます。
一方、「国語の理解力が低い」生徒だと、こちらの指示したこととは全然違う形で進めてしまいます。
正直、こちらで伝えていることは、それほど複雑な内容ではありません。
ですが、それができない。
こうした状況を何度も経験すると、
「『言葉を理解する』というのは、かなり個人差があるのだな」
ということを思い知らされます。
また、テストという面から見ても、「国語」を苦手にする生徒は、成績が伸び悩むことが多いです。
逆に「国語」が得意な生徒は、特に受験生になった時に、後半の伸び方がすごいケースがあります。
テストというのは「日本語」で出題されます。
なので、日本語が正しく理解できないと、答えが導き出せません。
また、テスト勉強をする際にも、どの教科についても、説明は「日本語」で書かれています。
国語が得意な生徒は、その気になれば、書いてある内容を理解し、着実に自分の能力を高めていくことができます。
一方、国語が苦手な生徒は、解答を見ても、「聞かれていない」内容について答えてしまうことがあります。
また、「どこにも書いていない」内容について、自己流で理解してしまっているケースもあります。
こうした状況を見ていると、
「国語の理解力によって、生徒の実力のつき方には大きく差がつく」
ということを実感します。
英語でも
ちなみに、英語についても、ある程度の国語力がないと、「頭打ち」になる、という印象を受けています。
とある塾の先生のつぶやきで、
「英語で差がつくのは実は『国語力』。与えられた英文に対して、どれだけ『日本語』としてわかりやすい状態で認識できるか。」
と書かれているのを、見たことがあります。
私も同感です。
受験生には、このところ英文和訳の練習をさせています。
国語の力がある生徒だと、文章全体の流れから、英文の意味を咀嚼し、わかりやすい日本語で訳そうとしています。
一方、国語の力がない生徒だと、「文法」「単語」の意味を、ただそのまま英文にあてはめて訳そうとします。
「意味は間違っていないが、それが文章の中で、どういう意味合いを持つのか」
というところまで考えが至っていない和訳をしてしまいます。
これだと評価はされません。
ある程度の英語力がついたら、それと同じくらい、あるいはそれ以上に「国語力」を高めていかないと、日本人の場合、英語を使いこなすのは難しい。
そのように感じています。
「地頭」をよくするには?
では「地頭」をよくするにはどうすればいいのか。
それは「読み」「書き」を地道に繰り返す、ということに尽きると思います。
国語力は一朝一夕には身につきません。
多くの文章を読みながら、読解力を鍛える。
その一方で、自分の考えを「日記」「作文」という形で表現する。
こうした「読む」「書く」という行為を、日頃からやる。
できれば、それを小さいうちから習慣としておく。
それが「地頭のよさ」になっていくように思います。
「読む」「書く」ということが、小さい頃から鍛えられている人。
実はそういう人が、いわゆる「地頭がいい」人なのではないか。
最近はそう感じています。
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