「自主性」は万能か?
2023/12/12
イチローの言葉
先日、ネット記事で、イチローの言葉が紹介されていました。
要約すると
「昔は厳しい指導者がいて、自分自身を管理できないような子でも、ある程度の実力まで強制的に引き上げてもらえた」
「今の時代は、そうした厳しい指導が通用しなくなってきている」
「そのため、今の子どもたちは、自分で自分を管理しなければならない」
「自己管理ができる子はいるが、それが出来ない子たちは、そのまま放置されてしまう。」
「なかなか考えさせられる言葉だな」ということを思いました。
「自主性」の裏側
今の時代は「自主性」が重んじられる時代なのかな、と思います。
先の見えない、急速に変化する時代においては、「自分で考えて行動する」事が重要。
そのため、小さいうちから「自分で考える」という習慣を身につけておかなければならない。
学習指導要領も、こうした「自主性」を重んじる内容になっています。
そのため、学校の宿題も、先生から与えられた「課題」をこなす、という形は少なくなってきています。
その代わりに「自主学習」という形で、「自分でなすべきことを考えて提出」する形が増えてきています。
「自分で考えて、自由にできるのだから、それがいい」
と思われるかもしれません。
確かにある一定数の生徒たちは、自分で考えて、優れた課題を提出しています。
こうした生徒は「学力が高い」生徒に多く見られます。
その一方で、
「自主学習といっても、何をしていいかわからない」
といって、課題が提出できずに悩んでいる生徒もいます。
こうした生徒は「学力が低い」生徒に多く見られます。
そして、「何をしていいかわからない」生徒は、考えるのをやめて、提出すること自体を諦めてしまったり、お茶を濁したような形で提出するようになります。
広がる「格差」
昔であれば、強制的に宿題が出されていたので、
「とりあえず、出された課題についてはきちんと終わらせる」
ということが成り立ちました。
ですが今は、そうした「縛り」のようなものはありません。
自分ですべてを考えて判断し、行動しなければなりません。
それができる生徒は自分で判断し、ドンドンと進めていく。
それが出来ない生徒は、放置され、ドンドンと取り残されていく。
その結果、
「学力格差が広がりやすい」
ということが言えるのかな。
生徒たち、特に小学生の様子を見ていると、そう感じています。
ある程度の「強制力」も
私自身は、正直、自分で管理することができたタイプです。
学校から宿題が出ると、
「自分でやりたい部分ができない」
「縛られるのは、嫌だ」
「放っておいてほしい」
と感じていました。
なので、今の「自主性重視」の方が大変ありがたいです。
ですが、一方で現在生徒を指導していると、
「自分で管理することができない」
という子の方が、大多数のように思います。
こうした生徒たちは、「自主性」という名の元に、放置されているように感じています。
公立の小中学校には、様々な学力層の子がいます。
その子達全員の「最適解」を見つけるというのは、かなり難しいことである。
そう感じています。
ただ、今の「自主性重視」の流れは、少し行き過ぎていて、
「勉強が苦手な子たちを、置いてけぼりにしてしまっている」
という危うさを感じています。
小中学生、特に小学生においては、まだまだ「自己管理」できない子が多いです。
そうした子どもたちに対しては、一定程度の「強制力」は必要なのではないか。
イチローの言葉を目にして、そのようなことを思いました。
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